私はVRChatでの人間関係で、複数のつながりが途絶えた経験がある。
- ある人物とは、頻繁に会話をしていたが、数ヶ月間連絡が途絶えたまま。
- 別の人物とは、軽い愚痴を言った直後にブロックされた。
- さらに別の人物は、恐らくコトが切れた。
人格的に合わなかった人間もいる。しかし、一人目の人間とは相性は悪くなかったと思う。 それなのに、心が離れていった。
この経験から、VRChatやXから隔離する選択をした。 結果として、現実に向き合う時間が増え、何がいけなかったのかを事実ベースで考えることができた。 ウィトゲンシュタインの哲学に少しだけ触れ、私が考えたことをここに書き綴る。 これは贖罪の意味も含む。
用語
私はよく、物理現実/人工現実(VR)と区別するのだが、今回は現実/VR(特にVRC)という区別を採用する。
前提
本記事では感情表現を極力排除する。理由は物語性を排除し、事実と論理のみで進めるためである。
ウィトゲンシュタインの思想は根幹まで理解していないので、それらの用語はできるだけ用いないことにする。あくまで発想元であることはここに明記する。
ここでは個人や文化の担い手を批判を行わない。しかし、不幸の分析を行う際は物や概念に対して、忖度なく性質を記述していく。
できる限り事実を述べていくように努める。
本記事では、ゲームに対する姿勢のすれ違いによる不幸を減らす手法を提示する。故に、互いが相容れないことによる不幸は対処しかねる。それらの不幸は人生のスパイスだと許容するしかないだろう。
本記事は善悪の判断を一切行わない。
一部:ゲームとは
本記事の「ゲーム」の概念
人間の営み(会話、関係作り、期待のやり取り、反応の読み合いなど)の多くは、厳密な定義はできないが、 「曖昧であってもなんか目的があり、曖昧であってもなんかルールがありそうな」ものとしてまとめることができる。 これを便宜上「ゲーム」と呼ぶ。
私たちはゲームをしている。現実もVRも同列の世界であり、現実であれVRであれ人間がゲームを行っていることは同じだ。
ゲームは人の数以上にある。
互いに互いのゲームに付き合っているだけにすぎない。
二部:ゲームを当事者以外に委ねてはならない
ゲームは当事者たちによって作られるものである。故に、端的で一般的な言葉で片づけられるほど矮小なものではない。
しかし、VRの世界では文化言葉が独り歩きし、大きな権威を得ているように見受けられる。そして、現実出身の言葉も例外ではない。
VR出身の文化言葉の良い例として、「お砂糖」が挙げられる。良く、「お砂糖ぐらいに甘い関係やパートナー」のことを指す…が、しかし、この意味は厳密な本質を持たない。
思考実験をしよう
お砂糖に関しての考えをピックアップした。VRSNSのコンテンツを視聴してきた読者ならば、一度は聞いたことがあるだろう。
Aの使い方:イチャイチャ中心の甘さ(身体的な近さ、ロールプレイの親密さ)
Bの使い方:安心感や日常的な支え合い(メンタルサポート、日常会話の甘さ)
Cの使い方:親友級の軽い甘さ(一緒に遊ぶだけ、深い意識なし)
Dの使い方:婚約級の深い甘さ(リアルに発展する可能性、長期的なパートナー感)
お砂糖という考え方の数個を取り上げただけでも、相性が悪い考えの組み合わせができる。
わかりやすい例えは、
C(親友級)とD(婚約級)
C側:軽い甘さ・友達以上恋人未満。
D側:深いコミット・パートナー級。
→ ずれの原因:Cは「特別な友達」と思ってたのに、Dは「恋人・婚約級」。
→ ノリで始まった甘さが、Dの期待で重くなる → Cが逃げる。
…などが考えられる。
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AとBは「甘い感情の共有」で似てる、BとCは「安心の度合い」で似てる、CとDは「関係の持続性」で似てる——鎖のように重なり合って、「お砂糖」と呼ばれる集合になる。しかし、特にCとDは全く似ていないが同じ「お砂糖」といわれる集合に属する。
これらに共通の「これがお砂糖の本質!」という特徴はないし、「家族的類似」性を持った、文化言葉をゲームに組み込むことは重大なバグを引き起こす。
これはわかりやすい例で、承知の読者も多いだろう。しかし、現実でも一般的に使われる言葉も例外ではない。これは私の例だ。
友人に関する考え(ここでは心情を考察するのはナンセンスだと判断し、行動のみを記述)をピックアップした。
※便宜上相手をAさんとする。相違点をピックアップし、共通点は省いている。
私の考え(行動):リアルのこと話がち、喋り手ばっかしがち、など…(これ以上は内省としたい…)
Aさんの考え(行動):リアルの話はあまりしない、聞き手をしている(してもらっていた)など…
これ以外に、どれぐらい連絡するのか、リア友だったら、どの頻度で遊びに行くのか、どのぐらいの時間ともに行動するか、休日でも連絡を取り合うのか、などの細かなゲームが行われている。
私たちは、特別なものでなくとも、日常的にゲームを行っている。VR中心に話したが、現実でも同様に人間はゲームを行っていることを理解してもらいたい。
三部:ゲームのプレイ姿勢
確かに不明瞭なゲームが人生の醍醐味なのはわかるが、その醍醐味を真正面で全て受けきれるのか、という問題が発生する。 自分だけでなく相手のおかげでゲームが成り立っている。どちらかが心離れしてしまえば、そのゲームは破綻する。 そのようなリスクと醍醐味とのトレードオフだ。
その上で、相手と親密で良好な関係を築きたいのであれば、独自のゲームをすり合わせることが必要になる。 その姿勢をここにまとめる。
「事実を見ろ」
この記事で最も伝えたいことはこれだ。
文化や偏見、妄想は全て捨て去り、相手との関係をしっかり観察すること。 観察とは、相手の言葉の使い方、行動の頻度、反応のタイミング、距離感の変化を、ありのままに記述すること。 ドラマチックな物語や「こうあるべき」という先入観を挟まない。
観察したあと、あなたがどうするかはあなたが決めることだ。
- 人格的に反するならば、関係を解消してもいい。
- 仲良くなる別の方法を探してもいい。
- 腰を下ろして今後をともに話すのもいい。
- 相手のペースに合わせる選択をしてもいい。
- 自分のペースに合わせてもらうよう伝えるのもいい。
これからの具体的な行動を示すことは、私がこの記事で示す範囲を凌駕している。 事実を観察した上で、あな たが選ぶ道は、あなたのものだ。 大いに失敗することも、あなたの糧になる。
これで記事は完結する。 過去の失敗(心離れした関係)を事実として振り返り、 「文化言葉に委ねず、当事者で事実を見ろ」という姿勢に帰着させる。 贖罪の意味も「これからは事実を見ようとする俺がいる」として、静かに示唆される形になる。
次の記事について:事実を見ようとする姿勢を乱す別の要素が存在する。 それは物語的な思考がゲームに介入することだ。 次に、その仕組みを事実ベースで整理する。

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