0:なぜ書くのか
私は燃え盛る炎のごとく多くのことを考える。その考えはある瞬間には過激に認識されてしまうものもあるだろう。だからこそ、私はどんな人間であるかを知ってもらう必要がある。
私が他者からどのように思われようとも、親しい人間には純粋で子供っぽく矮小な存在でありたいものだ。その記録を記す。
1:年少
私は生まれた頃、病気や熱にかかりやすかったと聞く。しかし、保育園のころには体格に恵まれ、戦いごっことお絵かきが好きな子供へと育っていた。
当時夢中になっていたものは、星のカービィや妖怪ウォッチ、仮面ライダー、戦隊シリーズなどだ。特にカービィは、兄といとこがWiiで「星のカービィWii」を遊んでいる姿を見て惹かれ、そこから好きになった。私は母親に甘えるのが好きで、抱っこをねだったり、耳たぶを触ったりしていた。あの感触が妙に落ち着いたのを覚えている。
私は男女分け隔てなく遊ぶタイプで、ままごとにも自然に混ざっていた。友達や先生との関係も良く、卒園式ではバーベキューをしたほどだ。卒園後も一年に一度集まる会が続いていた。
家族の都合で外出する機会が多かったため、そこで出会う同世代の子とも積極的に関わっていた。一方で、大人に対しては強い人見知りをしていた記憶がある。
私の遊びは、いつも空想の世界が中心だった。カービィのフィギュアやブロックを道具にして、頭の中では壮大なシナリオを描いていたのだ。アニメや特撮、カービィシリーズがその元になっていた。フィギュアをぶつけて戦わせたり、キャラクターになりきって話したり、今思えば小さな部屋の中で自分だけのRPGを作っていたのだと思う。秘密基地のような狭い場所にこもるのも大好きだった。美しい音楽を聴くと涙を流すことができた人間だった。このころから涙もろかったのだろう。
私は発育がよかったこともあり、少しませていた。恋愛感情があったわけではないのに、拾った柿を片手に同級生の女の子へ「彼女になってほしい」と言ったことがある。返事はOKだったが、それはテレビの影響で「やってみたい」と思っただけで、互いに感情があったわけではない。ただ、仲良しの証がほしかったのかもしれない。思い返すと、その性質は今も根に残っている。つまり、仲良くなった女の子にやたらと求婚していたのだ。今となっては笑えるし、同時に思い出すたびに顔が熱くなる出来事である。
私は女の子への嫌悪も抵抗もなく、ままごとやお絵かきを楽しんでいた。それでいて、男同士の遊びも同じくらい好きだった。絵を描けば褒められ、体を動かせば仲間と笑えたから、内向的でありながら外向的でもあったと思う。多くの人と関わり、好かれていた自覚はある。ただし、不機嫌になれば泣き、納得できなければ手を出す、そんな幼さゆえの残酷さも確かに持ち合わせていた。
2:小学校
小学校に入学した当初、私はプリントをぐちゃぐちゃにされることがあった。そのときは拳で解決し、結果として両成敗される――そんな荒々しい幕開けだった。
とはいえ、低学年の私は保育園のころとほとんど変わらない。違うのは、空想をおもちゃで表現するだけでなく、お絵かき帳にひたすらカービィを描くようになったことだ。頭の中の世界を、絵として外に引っ張り出す楽しさを知った時期だった。
保育園の友達は別の学校へ進学したため、小学校では知り合いがいなかった。けれど、そこで新しい友人たちと出会う。運動が得意な二枚目の子、背が高いお調子者で頭の回る子、坊主頭の子。三人ともよく遊び、ときには私の「理解者」になった。
私は「かいけつゾロリ」に夢中で、特に二人目の子とはオヤジギャグを言い合うお調子者コンビのような関係だった。三人目とはスプラトゥーン2を通してよく遊んだ。低学年の私は、誰か一人とくっついて行動することが多かった。こちらから近づき、仲良くなり、相手が離れると寂しくなる。好いた相手には全力で向かう一方、興味のない相手には優しく接しつつも関心は薄い。その性質は、今も変わっていない。
私は学童保育に入っていた。そこには“とんとん相撲部”のような遊びがあって、折り紙や新聞紙で相撲の力士を作り戦わせた。自分の作品が評価される感覚が新鮮で、創作の喜びと「認められる快感」をそこで初めて知った。仲間意識から過ちを犯すこともあったが、創作は基本的に一人で取り組むことが好きだった。
小学二年生頃、私は急激に太っていった。食欲が止まらず、気づけばかなりぽっちゃりしていた。
中学年に上がると創作活動はさらに活発になる。自作漫画を教室に貼り、クラスメイトから「面白かった」と言われるたびに嬉しさが胸に積み重なった。設定づくりやシナリオ作りに磨きがかかり、YouTubeのSS小説にもハマった。恋愛表現や少し刺激的な言葉、初めて聞く世界観。それらを吸収するように動画を見ていた。当時流行っていたのはマインクラフト実況で、ヒカクラやカズクラは欠かさず見ていた。
その頃には、私はすっかり丸くなり、暴力を振るうことはなくなった。代わりに言い争いが増えた。言葉が武器になりはじめた時期だ。
小学四年生からは自転車が相棒になる。田んぼ道を夕暮れまで走り続ける時間が好きだった。放課後に友達と遊ぶ時間も増え、スプラトゥーン2にも熱中した。
やがて新型コロナウイルスが広がり、高学年では生活が一変した。学校からiPadが支給され、オンライン授業が始まった。Ibispaintでデジタル絵を描くようになり、Zoomの背景にして自慢したり、先生に共有してコメントをもらったりした。外出自粛の中、自然とネットの世界を深く知るようになる。YouTube、アニメ、サブスク、ゲーム…そしてpixivやボーカロイドなど、少しアングラな領域にも触れた。
絵の上手い人を見て刺激され、挑戦するが、思うように描けず自信を失った時期でもある。スプラで荒れて叫んでいたこともあり、その頃の自分は少し目を逸らしたい。
成長期とインフルエンザを経て、私は痩せた。体が軽くなり、少し世界が変わった。
小学六年生になると、自己啓発本にハマった。「本質」を連呼し、身に浮かんでいるだけの知識を盾に、委員会の仕事に愚痴をこぼす面倒くさい子供だった。学校はどこか窮屈で、新入生紹介のときに余計なことを言い、担任に釘を刺された。建前という技術を持てなかった私は、楽しさよりも閉塞感を抱いて卒業したと思う。
しかし、好きな場所がひとつあった。校長室だ。昼休みに遊びに行き、私が考えた物語や設定を語ると、校長先生はちゃんと聞いてくれた。同世代より、大人の中でも「聞いてくれる大人」が私は好きだった。
3:中学校
一年生の私は、妙に意識が高く、戦略主義者だった。入学直後から高校受験を見据え、建前を使い、優等生として振る舞う術を身につけた。小学校の頃は成績が良くなかったが、中学校では常に順位は一桁。生活態度も整え、委員会では副委員長として動き、まさに模範生のようだった。けれど、それは窮屈だった。
初めての行事や新しい人間関係は刺激的で楽しかった。だが、堕落しきった生徒たちと、逆に全てを「型」に押し込めようとする学校。その両極に挟まれて生きている感覚があった。周囲の流行――Tiktok、Bereal、ソシャゲの会話。理解できなかったし、理解したいとも思えなかった。話題に置いていかれることもしばしばだった。
一方で、学校の先生とは不思議と話しやすかった。とくに社会科の先生が好きだった。しかし、教師という職業は「個人」として話すときと、「学校の代弁者」として話すときで態度が変わる。その境界が見えた瞬間、私は彼らを遠ざけた。嫉妬や焦り、自分の怠惰への嫌悪――その時期の私は、常に何かと戦っていた。
そんな葛藤の中で、私は創作に没頭した。作品を摂取し、頭の中に世界を築き、物語を練り続けた。特に思い入れのあるテーマは、「誰もが自分の見たい景色を見られる世界」。善悪ではなく、個性を磨けばそれぞれが目標に辿り着ける。そんな都市が散りばめられた理想世界。現実世界の影として、私はそれを妄想していた。そして授業で得た知識を片っ端から世界観に組み込んでいった。
そんな中、二年生で哲学と出会う。TSUTAYAでたまたま目に入った一冊だったが、啓発本を読んでいるうちに哲学への興味はすでに芽生えていた。何者かになりたいという焦燥感を抱えていた私には、それはまさに格好の燃料だった。その本を皮切りに、Youtubeでも思想分野を漁るようになった。当然のように、周囲の生徒や学校が小さく見えてしまい、私は無意識に彼らを見下していたと思う。
同じ頃、私は平家物語の「無常」に心を惹かれた。月の象徴性と結びつき、空想の材料として理想の世界に滲み込ませた。
その後、生徒会副会長に立候補し当選する。公約は「より良い議会にすること」。演説当日、原稿を直前で書き換え、勢いだけで語り、案の定叱られた。だが、私の奇妙な熱量を面白がり支持してくれた人たちがいたことは今でも忘れない。
副会長として働いた二年後半から三年生前半。私はずっと、学校と生徒の板挟みだった。理想通りにはいかず、私自身の遅刻癖やタスク管理不足も重なり、やらかしては反省する日々。意見だけは立派に出すくせに行動が追いつかず、周囲から嫌われていたと思う。顧問の先生には誰より怒られた。それでも、会長と顧問は私の特性を理解してくれていた。
けれど、タスクが増えるほど心は摩耗した。テスト勉強不足で成績が落ち、ストレスを発散できず、理想との差に苦しみ、自分を責め続けた。公約を果たせない焦りもあった。やがて心身が限界を迎え、私はメンタルクリニックに通うことになる。ようやく、生徒会という長い戦線は終わった。
その後、受験期が始まる。受験勉強は苦痛だった。競争、プレッシャー、効率化、評価。私は「本質的でないもの」をやらされている感覚が嫌だった。涙を枕に落とす夜も珍しくなかった。けれど、苦しい時ほど、世界の光はやたら美しく見えた。わずかな感動で涙が溢れた。
その頃の私は、自分の思想について深く考え始めた。手帳のメモ欄に社会の流れを書き、批判を書き、問いを書き殴った。社会に不満があるなら、理想を考えるのは必然だ。そこで私は「アカデメイア」を構築する。哲学と科学が交差し、知的生産、文学表現、価値について学べ、実践できる学術都市。世界観が広がる音楽を聴きながら、私はその都市を育て続けた。
塾の帰り道、迎えに来た父に考えたことを話すこともあった。父は必要以上に踏み込んでこない人で、だからこそ話しやすかった。
世界の神秘に敏感になり、人間の儚さや美、世界の秩序を汚すものについて思考した。世界そのものに恋をしていた。道草ばかり食っていたが、最後は自分の得意な「自己認識」で軌道を戻し、高専の推薦に合格した
4:春休み
少し早い春休みがやってきた。私は静止している人間だった。日々のせわしさが一気になくなり、どこにも属せず、神秘に包まれていた。社会はいつも通りにせわしく動き続けている。その中で静止している私は、川の真ん中にある岩のようだった。
学力を伴わず内定してしまった未来への焦燥。青く、しかしどこか暖かくなりつつある冷たい空気。それらが複雑に入り混じり、私は妙な感情を抱えていた。定年退職者のような、役割から離れてぽっかり空いた静けさ。いや、当時の私は確かに、そんな人間だったのかもしれない。
忙しい日々から離れると、決まって世の中の別の面が見えてくる。見ようとしてしまうのが、人間の性なのだと思う。ある日、街へペダルを漕いだ。藤井風の「花」を聞きながら。空の青さ、市街地の雰囲気、河川の色、知らない街並みと馴染みのある夜の姿、うまいもの、そこに住む人間、どんな機関があるのか、自転車のタイヤが引っかかる窪み、そして待ち時間の長い信号の場所。幼いころの記憶を足元のペダルでつなぎ合わせるような、いや、塗り替えていくような感覚だった。そして、そのすべてを私は愛せたと思う。
その時の私は、老人のように観察し、感傷し、ただ世界を愛する人間だった。この感情を「青春」と定義した。このころから、私は世界のすべてを愛する人間になった。
そんなある日、図書館へ行った。そこで先人の言葉に触れることになる。一冊のオードリー・タンの本が目につき、読み進めるうちに衝撃を受けた。その日を境に、私は積極的に先人の言葉を取り入れるようになった。
さらに、受験を終えたことで家族と触れ合う時間が増えた。静観してみると、家の中には愛が満ちていた。ばあちゃんの家にもよく遊びに行った。ご馳走されたり、しごかれたりした。不思議と満たされていた。ばあちゃんが私の話を聞き、意見や経験を話してくれる、そんな「大人」だったからだろう。
5:入学後とVRChat
入学後の私は、とにかく緊張していた。周囲は学力試験で通った連中ばかりで、私が最下位なのではないかと感じていた。授業も試験も未知で、初めての寮生活は地に足がつかない感覚だった。「行きたくない」と思ったほどだ。
しかし、それは杞憂に終わった。自分にとって普通の勉強をすれば点数は取れ、苦手なところは気軽にクラスメイトに聞けたので、次第に適応できた。ただ、学生の衛生観念は雑で、二ヶ月単位で何かしらの病気が流行り、私が倒れることも少なくなかった。
それでも、苦手だと思っていた人間も、一緒に過ごしてみると案外魅力が見えてくる。助け合い、助けを求める姿勢もそこで培われた。
そんな日々の中、高専入学を機にゲーミングノートPCを購入し、VRChatの世界が本格的に始まった。自分のアバターを作り、Xアカウントを公開し、毎週末ログインしていた。哲学かふぇ芳紅堂に通い、NAGISAで一対一の対話を楽しみ、様々な年代の人たちの話に耳を傾けた。同世代でも仲の良い友人ができた。Xでは食べたおやつや作った料理、ポジティブな投稿をしていた。VRChatの活動報告や問題指摘も、経験に基づいた冷静な視点だった。人間関係を気にせず発信できていた。
しかし夏休み、私は孤独を感じ始めた。やりたいことをしても、満たされない感覚が消えなかった。その穴を埋めるようにXのおすすめ欄を眺め、終わりなき論争を目にするようになった。
そして、依存先を作ってしまった。ただ「無条件な友人」が欲しかっただけなのに、気づけばVRChatの闇の界隈に足を踏み入れていた。(接していたのはほんの二人だったが、それでも十分だった。)
そこには、薄い依存関係が広がっていた。欲求を満たせるならそれで良いという空気。愛も誠実さも確かな絆もなく、ただ停滞していくネットワーク。その在り方に、私は耐えられなかった。
それでも私は彼らを、人間として見ようとしていた。過去、背景、言葉。理解しようとした。しかし彼らの価値観の中心には「癒し」があった。受け入れたら、自分の信念が崩れる気がした。拒否した。それでも心に穴があった私は、その場所に留まり続けた。
関わった二人は、それぞれ幼少期や思春期に重たい過去を抱えていた。深夜のつむぎで話すと、怪しめの界隈の人ほど傷を抱えていた。私は救いたかった。ただ肩を並べて遊ぶ未来があると信じたかった。
だが、その世界にいる私を救える人間は、私も、彼らも、誰もいなかった。相談できる相手もいなかった。Xの論争、欲望に忠実なフレンド、信念の崩壊、無力感。心が削れた。初めて、パンドラの箱を開けたと感じた。
それでも、時間と休息が少しずつ私を戻した。物理現実が充実し、先生やクラスメイトと話し、先人の言葉を噛みしめるようになると、物事を俯瞰して見られるようになった。そして私には、ネット上でだが、無条件の友人関係も生まれていた。それらが救いだった。頃合いを見て、依存関係を断った。
一人は私のことを気に入っていたので不安だったが、彼は落ち着き、私の決断を尊重した。今ではネットミームで笑い合う仲だ。もう一人は遠くへ行ってしまった。悔しかった。
――
この一連の事件で、私は心を痛め、自己修復し…をたくさん続けた。先人の言葉によって、自己観察を行いもした。人生においてたくさんの経験をし、私の思想の根幹を作り上げた。痛むたびに、今まで身に浮いていた先人の言葉が身に染みた。
この事件は人生で遅かれ早かれ起きていたことだろう。致命的になる前に、解決し、学ぶことができたのでこの事件を愛そうと思う。余談だが、この事件の後はすっごく涙もろくなった。光をより一層光と感じれるようになったのか、価値観をぶっ壊し自分をさらけ出せるようになったか、どっちかわからないが。
私には何かしらやりたいことがあり、それを求めるたびに傷つくだろう。しかし、私には助けてくれる人間がい、私自身なにをすればいいかもわかっている。傷つくたびに私は学び、素晴らしい人間になると確信している。
6:今の私の自己紹介
僕の名前は tsurara266。
高専に通ってる男子学生。年齢とか肩書きより、今ここで生きてる”個”として話したい。
僕は、好きなものに対して素直なタイプだ。
仲の良い人と遊ぶ時間はすごく大切だし、音楽を聴くと気分が切り替わる。
誰かと話したり、ものを作ったり、構想を考えたりするのが好き。
身体を動かすのも好きだし、好きなご飯をガッと勢いで食べられる瞬間は、小さいけど確かな幸せだと思ってる。
好きなものを「好き」って紹介できる性格で良かったなって、わりと本気で思う。
僕が惹かれるものは、無条件の信頼と関係性、人間そのもの、自然、かっこよさ、美しさ。
言葉にするとシンプルだけど、そこには体温とか、まなざしとか、曖昧な距離感とか、いろんなものが詰まってる。魂の燃え盛りを見たいんだ。
苦手なこともある。
大人数で遊ぶと情報量が多くて疲れるし、口頭説明はよく抜ける。
理解が遅いんじゃなくて、ちゃんと正確に理解したいだけ。
数学の文章問題はたまに読み違える。
スケジュール管理は得意じゃない。
危機的状況では焦る。
でも、それを知っているから工夫できるし、助けを求められる。
嫌いなものは、無気力のまま他人に寄りかかる態度とか、
偏見だけで相手を決めつける姿勢とか、
「弱さ=優しさ」って自己免罪してる考え方。
それから、相手を支配しようとする関係性も苦手だ。
べつに全部が平等である必要はないし、役割や力の差がある関係が悪いとも思ってない。
でも、それが利害の一致や合意の上に成り立ってるかどうかは大事だと思う。
そこに目線の尊厳があるかどうかで、関係はぜんぜん違う形になる。
要は人一人を見つめようとしない姿勢は嫌い。
あとは、融通の利かない道具・機関も苦手…。
僕の良いところ。
世界や気持ちを言語にするのが得意で、
「自分ならこう作る」「こういう仕組みが良い」って考える癖がある。
司会進行や方向づけも自然にやれるし、例えをひねり出すのも楽しめる。
相手の良さを見つけたり、寄り添ったり、共感する力も強い。
好奇心は強く、折れても立ち直る。
そして、結局根っこはわりと純粋で、子供っぽい。結構涙もろい。
趣味はいくつかある。
文章を書く、ゲームをする、カービィのBGMを聴く、
アイデアをメモする、料理やお菓子作り、絵描き、そしてタップダンス。
家族との時間を取るために、緑茶、紅茶、珈琲も淹れる。
全部「生きてる実感」に繋がる活動。
いつか、仲間と一緒に料理やお菓子作りをやりたいなって思う。
たぶん僕はまだ途中の人間で、未完成で、揺れていて、それで良いと思ってる。
だから関わるなら、上下じゃなくて横。
支配でも依存でもなく、ちゃんと「個×個」で話したい。
だから、誰もが支配されてほしくないし、誰も支配したくない。
私は過去を振り返るとき、後悔や黒歴史として消すんじゃなくて、土台として触れたい。
誰にどう思われても、そこにいた自分を消したくない。軌跡を残したい。
いまの私は、まだ途中だ。
理想の自分にも、人から見られる自分にも届いていない。
だけど考えるし、悩むし、好きな人にはまっすぐ向き合いたい。
創作も、人間関係も、生きることも、全部「正解がない」っていう前提がある。だからこそ、自分なりの答えは裏切れない価値だ。
だから私は学ぶ。観察する。考える。
そして自分なりの答えを持って生きようとしている。
私は完成していない。
でも、未完成であることを恐れずにいたい。
変わりながら、ちゃんと残りたい。
それが、今のtsurara266だと思う。

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